元毒親育ちの頑張らない生き方にっき

元毒親育ちで、克服したくてカウンセリングを受けて生きづらさを減らしました。失っていた自信も取り戻しました。ですがキャッシングで借金を作り、貯金ができなくなりました。いよいよこれはまずいと思いお金の勉強を始めました。そしてFP2級を取得したOLが人間関係にも悩みつつ、老後の心配を抱えつつ、試行錯誤しながら自分らしい生き方でお金とか人間関係の話しをしつつ、日々どうやって生きているのか発信していきます。

【毒親】彼氏の家族が気に食わない、父親とは思えない発言2013年7月〜2014年4月

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前回の記事の続きです。
前回の記事はこちら
 
 
 
謎の神経症になってしまい、
その後も病院は行かずに
ひたすら痛みに耐えて自然に
治しました。
 
仕事も慣れてはきたものの
まだまだ辞めたい気持ちはなくならず
2013年7月くらいに仕事とは別で
モヤモヤすることがありました。

それは彼氏のお姉様の家族。
姪2人と甥1人がいますが、
彼氏は大好きなのです。
 
毒親育ち故に私はそれが気に食わなくて
嫌で嫌で何かされたわけではないのに
彼氏の姪も甥も嫌いでした。

彼氏にぴょん吉も同じくらい
愛されてると思っていましたが、
多分今思うとそうでもなかったと思います。笑
 
当時の私は彼氏に
姪達ばかりかまわないで!
むしろ会わないで!
ぴょん吉とだけ会って!
姪達に何か買ってあげるのも
やめて!私だけにして!
と言いました。

頭ではわかっていました。
おかしなことをぴょん吉は言ってる
器が小さい事を言っていると。
 
どれだけ独占欲出しているんだと。
そこで私は長女だから甘えられなかった
という気持ちがありました。
そしてまたそこでも
言ってしまったあとに自分を
責めていました。

彼氏が姪達に会おうが
小遣いあげようが、
私が何一つ制限できる
わけでないのにです。
何様なんだろう?馬鹿なこと言ってたなって
今なら思えます。
 
そのような感じで仕事も気力で
踏ん張り頑張り続け、
10月くらいにやっぱり
病院行こう。(心療内科的な)と思い、
友達に紹介してもらった
病院に行きました。
 
話しを聞いてもらい、薬も出してもらったけど
ぴょん吉は先生が微妙かも。。という結論が出たので
そのあとは通いませんでした。
 
薬も私の体に合いませんでした。
また病院かカウンセラーさん
探さないといけないと落ち込みました。

気分のアップダウンを繰り返して
しょっちゅう泣いて日々をすごしました。
仕事行きたくない→泣く→
彼氏仕事再開しない→イライラする→
彼氏と会うが帰り際に泣く→
引き止める→泣く
私は独りと嘆いて→泣く→
また仕事行きたくない→泣く
の繰り返しでした。
 
当時は本当にずーっと
このローテーションでした。
ほぼ365日このローテーションで
あったと言っても過言ではないです。
 
あと痛くないなら自殺したいとも
思っていました。
これも当時は常に。
 
そして彼氏との2年記念日と
年末が来ます。
 

年が明けて2014年1月。
2013年は泣いてばかりで散々な年で
1番しんどかったので
2014年は楽しく前年とは
違う良い年にしたいって
自分と約束したのでした。

ですがまた仕事初めまでに
彼氏の姪達で一悶着ありました。
 
年明け彼氏のお家に一泊したのですが、
ぴょん吉の中ではタイミングが悪く
姪達も一緒だったのです。
 
お姉様が一気に自分の子供を3人とも
彼氏母に預けていました。
 
私の気分はがた落ちでしたけど、
彼氏が次の日は私と二人で出かけてくれる
とのことだったのでお泊りの間は
我慢しました。
 
たまにしか会わないし
子供って新しい物好きだからだと思いますけど、
姪2人は私のこと好きだったのです。多分。笑
 
お風呂も一緒に入ったし、
2人とも私と寝ると言い張り
一緒にも寝ました。

そして次の日を迎えます。
それだけ仲良くしてれば
もっと一緒にいたいのは
子供の心理としては当然だと思う。
 
けど私は約束は約束なので
彼氏と出かけようとしました。
 
姪達も一緒に行きたいと言いました。
彼氏も連れてってあげたい感じでした。
 
内心はこの瞬間本当子供は
キライだと思いました。

結局彼氏の母が気を使ってくださり、
『大丈夫だから姪達はほっといて
行ってきなさい』と言ってくれました。

ですが彼氏の機嫌が悪くなります。
彼氏は一緒に連れて行ってもよかったんですね。
 
『なんで連れて行っちゃダメなの?
子供なんだから少しだけ
付き合ってあげれば気がすむのに』
と言ってきます。

ぴょん吉は心の中で
『翌日は私と出かけてくれるって約束したし。
だから姪たちがいても我慢したし、
姪達ぶっちゃけどうでもいいし。』
と思ってたので、彼氏には
正直に子守りはしたくないと言いました。
 
ぴょん吉は今まで散々兄弟を子守りをしてきたので、
自分の時間がなく遊べなかった。
だから今子守りはしたくないと言いました。
 
その場は彼氏は怒らずに
そっか。という返事で終わりました。
これでもこの時ぴょん吉はそれ以上ワガママを
言うのは抑えました。
 
その後は姪達に会いませんでしたが、
彼氏は会っていたと思います。

それから1月2月3月で
仕事が忙しかったけど
なんとか異動してから1年乗り越えました。
2014年3月時点でまだ彼氏は仕事復帰していませんでした。
でもぴょん吉は異動してからの仕事よく頑張ったとおもいました。

と仕事はそのような感じで仕事でのしんどさは減ってきていました。
 
私生活のほうでは2014年2月に
妹が同棲を始めて家を出たので
私は3月に実家に戻りたいという
話しをしに父親にだけ会いました。

その時の戻りたい理由は
経済的に楽になるのと
彼氏との家の距離が
近くなるというのが理由でした。
 

3月中旬くらいに
父親が住むマンションに行き、
実家に戻りたいと言いました。
すると父は「わかった。
とりあえず母に聞いてみるよ」
とのことでした。

ですが両親は離婚しています。
しかも父が住んでいるマンションは
母は関係なく父が働いている
会社に借りてもらっています。
なので母は関係ないことなのです。

ですが実家に戻してもらう身なので
下でに出て父に母との間に入って上手く
話しをつけてもらおうと期待しお願いしました
 
本当は普通に戻っても
いいはずなのですが、
母中心で回っている家族なので母が絶対
みたいな暗黙の了解になっていました。
私はこれに散々苦しめられました。

でも父に期待をして託しました。

そして結果を待ちつつ家に戻れると勝手に確信して
ウキウキしてました。

でも父からの連絡が一向にありませんでした。
催促をするととりあえず1度ご飯を
食べに行こうと言われました。
 
その父とご飯に行ったのは
2014年4月の中旬頃です。
 
最寄りの駅の近くにある
商業施設の中のお店で
お酒を飲みながらでした。

最初は世間話から始まって最近みんなどうしてるだの
あーだこーだと私は早く戻れるのか戻れないのかを
知りたいのにその話しを出してきません。

そして2人とも酔いが回り始めて
食事もひと段落した時に
やっと父親が
「やっぱり母と直接もう1度
話したほうがいいよ」と言ってきます。

ぴょん吉は一人暮らしを始める直前に彼氏を含め母親と
対決みたいな話し合いをしています。
毒親との対決は【毒になる親】にやり方が書いてあります。
 
その時点でぴょん吉は母に言いたいことを言い、
母の言い分も聞き、本当に母には話しが通じないと
いうことをきっちりと確認して家を出て絶縁しました。
 
なのでぴょん吉は当時もう母とは話しをしたくありませんでした。
母は何も変わっていないと思ったからです。
また傷つけられることを言われるかもしれないという
怖さと、わかってもらえないつらさを再び味わいたくなかったからです。
 
父に関しては母と私からと
お互いにお互いのことを言っている
言い分を聞いてるので
「どらが正しいのかわからない。
判断できない」と言います。
 
でも不倫して不倫相手の子供を産んで
しかも父は母から離婚された状況です。
 
ぴょん吉が今まで自分の時間を
全て犠牲にして母のために
時間を使ってきたことに我慢ができなくて
家を出たのに、
 
悪いのはどっちかって言われたら
母だというのがわからないのか?

と言いました。

父は『いや、でもわからない。』と言います。
とにかくその時は父も一緒に同席するから
母ともう1度話しなさい。と言います。

その時点で父が母に
ぴょん吉が実家に戻りたいって話しは
していないのだとわかりました。

ぴょん吉は父にもわかってもらえない
悔しさとイライラでお店の中で
あるにも関わらず号泣しました。

そうやってどっちにも
良い顔するなんてずるいと父に言いました。
そしたら『そうだねずるいよ。』と
『お前もお金のために
戻るんだからずるいじゃないか』と言われました。

その言葉で父も毒親だと気づきました。
こいつをもう父と思うのはやめよう娘を守ってくれる
姿勢もなにもない死ねと思いました。

元から普通の父親ならぴょん吉が母と絶縁することには
なっていませんよね。

そしてこの時にもう実家に戻るのは
やめよう。と思いました。
今までは母とだけ絶縁していたけど、
他の家族全員とも絶縁をしようと
心に決めたのでした。
 
次の記事に続きます。
本日も読んでいただきありがとうございました。