元毒親育ちの頑張らない生き方にっき

元毒親育ちで、克服したくてカウンセリングを受けて生きづらさを減らしました。失っていた自信も取り戻しました。ですがキャッシングで借金を作り、貯金ができなくなりました。いよいよこれはまずいと思いお金の勉強を始めました。そしてFP2級を取得したOLが人間関係にも悩みつつ、老後の心配を抱えつつ、試行錯誤しながら自分らしい生き方でお金とか人間関係の話しをしつつ、日々どうやって生きているのか発信していきます。

【毒親】実家への出戻りと妹の結婚式と毒母との対決2014年10月〜2015年7月

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今回の記事で、毒母に苦しみ、母と対決して、過去の自分を乗り越えたお話は一旦おしまいです。

前回の記事はこちらです。

 

pyonkiti.hatenadiary.jp

2014年10月実家へ出戻り引っ越しと友達の結婚式に耐える

妹夫婦に引っ越しを手伝ってもらい、実家への引っ越しが完了しました。

そして10月末ごろ、友達の結婚式へ参加しました。
当時の写真を見て思い出しながら、この記事を書いているのですが、
この時に一緒に行った友達に、
めちゃくちゃ見下されたと思ってしまったのを思い出しました。

友達の結婚式がぴょん吉は当時が初めてでした。『わーすごい可愛い』と
一人で盛り上がっている私に結婚式には行き慣れていた友達に、
なんと言われたのかは忘れたのですが、その友達の一言にムカついてしまいました。
そしてその時から縁切りましたww

その後その友達の結婚式に呼ばれたんだけど、
ぴょん吉は行きませんでしたwwという思い出がある友達ですww

2014年11月妹の結婚式で、母と2年ぶりの再会

妹の結婚式の出席を一度は断ったものの、カウンセラーの加藤なほさんのおかげで、妹のためではなく(妹よごめんww)、自分のために過去の自分に打ち勝つために、妹の結婚式に参加しました。

加藤なほさんの後押しがなかったら絶対に式には出席していませんでした。そして妹の協力の元、20歳の時に着た振袖を妹の幼馴染のお母様に着付けていただいて、式場で母と再会するのでした。
会うまでやはり緊張はしていましたが、周りも事情を察してか、知り合いも多かったので、みんな普通に接してくれました。

 

母と再会してから、まだ関係は元通りにはなっていないので、その後会うことはありませんでした。

その間にもカウンセラー加藤さんのカウンセリングを受け続け、
毒親育ちのグループ講座も受けたりして、今まで傷ついてきた自分を癒やしつつ、新たに対人対応をやり方を学んでいきました。

実家に戻ったこともあり、父と住んでいたのですが、
家にお金を入れてほしいと言われていたものの、毎月給料を全部カードの引き落としで使ってしまっていたので、お金は入れられていませんでした。

2015年7月まではお金を思う存分に使って、学び、人に会い、
旅行に行ったりしていました。

ある日家にお金を入れないで遊び呆けている私に遂に父がブチギレました。
ぴょん吉もブチギレましたww
これに関しては賛否両論あると思いますが、
ぴょん吉はお金を入れる気がありませんでした。

その話のどさくさに紛れ、母と話せと父が言ってきてうるさかったので、
カウンセラーの加藤さんに相談してついに母と話すことに決めます。

2015年7月母と対決

2015年7月18日のお昼ごろですかね。母の家に向かいました。母と会う直前までカウンセラーさんの加藤さんと連絡取っていました。私は一人じゃない今は母の事も受け入れて話す事ができる。と思いながら向かって行ったのを覚えています。

そして母の家について、母と向かい合って座ります。
何を話したかもう忘れているのですが、中盤くらいで、ぴょん吉は『母にもっとこうしてほしかった』を泣きながら伝えたのは覚えています。

母も泣いていました。

ぴょん吉が絶縁をしてから、母も母なりに考えたようで、心屋仁之助さんの本を読んで勉強していました。

この対決は一応過去のぴょん吉と向き合うこともできた大きな一歩でした。

 

ここまでがぴょん吉が一旦毒親育ちを乗り越えたストーリーでした。
絶縁する前からと、絶縁してからの人間関係を乗り越えて、
本当はこう思っていたんだという事を母ときちんと話すことができました。

ですが、前回の記事を読んでいただいた方ならお分かりかと思いますが、
人はそんな簡単に変わることはありません

一旦は母も2015年7月に私と向き合いを話をしましたが、ぴょん吉は直近で
ふたたび連絡を経っています。

毒親育ちの方にはがっかりさせてしまっているかもしれませんが、
母が病気になったこともあり、これまでと同じように話すことができませんし、
話が通じません。

ちゃんと意思疎通ができれば、改善の余地はまだあったのかもしれませんが、
それができなくなったのと、母が躁鬱であることが、
ぴょん吉との関係を悪化させてしまいました。

親子関係が周りと比べて普通でないことに、たまに悲しくなったりもします。
でも母はいつまでも生きていませんし、ぴょん吉も自分の家族がいます。
今は母よりも自分の家族が大切です。

そしてぴょん吉自身が大切です。

それに一度絶縁をして、母と次回会うのは葬式の時であろうと覚悟したぴょん吉ぴょん吉で、これからの人間関係を構築しなければならないと行動した事で、今は信頼できる人達がいます。最近そうゆう人たちができましたし、昔からの付き合いがある信頼できる友達もいます。

今は母ではなくそうゆう人たちにぴょん吉は支えられています。

母親との関係を取り戻したけど、再び音信不通状態になっているぴょん吉
お話でした。

 

本日も読んでいただきありがとうございます。