元毒親育ちの頑張らない生き方にっき

元毒親育ちで、克服したくてカウンセリングを受けて生きづらさを減らしました。失っていた自信も取り戻しました。ですがキャッシングで借金を作り、貯金ができなくなりました。いよいよこれはまずいと思いお金の勉強を始めました。そしてFP2級を取得したOLが人間関係にも悩みつつ、老後の心配を抱えつつ、試行錯誤しながら自分らしい生き方でお金とか人間関係の話しをしつつ、日々どうやって生きているのか発信していきます。

【毒親】母と絶縁してからの生活と彼氏の休職と謎の神経症2012年10月〜2013年6月

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前回の記事ではぴょん吉毒親育ちの歴を

ざっくりと記事にまとめました。

 

pyonkiti.hatenadiary.jp

 

今日からは2012年に一人暮らしを始めてから
しんどいかった日々と乗り越えてきた事を書いていきます。
毒母に苦しみ、母と対決して、過去の自分を乗り越えるまでのお話です。
 
 
ぴょん吉は当時25歳で、新卒で入社した
中小企業の総合商社で営業事務の仕事をしていました。
 
2012年10月、25歳の時に一人暮らしを開始しました。
 
ぴょん吉が1人暮らしを始めたのが
2012年10月からなのでそのあと
すぐに彼氏は休職に入りました。
 
休職に入る前に私達はお互い
決めていた額を貯金して
結婚に向けて前向きに話していました。
 
それが、彼氏の休職で一変しました。
 

彼氏の休職理由は簡単に言うと
パニック障害&うつ&パワハラかな
仕事で関わる上司とクレーム処理が
負担になったみたいでした。

 

結婚の話しは保留になりました。
とりあえず仕事を休むとのこと。
 
当時私は1人暮らしを始めたけれど
半年くらいで1人暮らしも終わって
お嫁にもらってくれるかな
と考えていたので大誤算でした。
 
ここからが終わりのない
絶望と悲しみが始まりました。
 
ぴょん吉も1人暮らしを始めたのが
毒親との絶縁も兼ねていたので、
 
少しの期間ですぐに自分の家族ができる
結婚してもらえる!
 
と思ってたのにあっという間に
結婚は先延ばし、
私は当時誰も頼れる人がいない
(自分の家族と絶縁しているから)
ぴょん吉は1人ぼっちになりました。
 
この先の将来が不安になり、
寂しい、死にたい、一生独身で
孤独死するんだと思い込んで
ネガティブワールドに
入ってしまいます。
 
2012年12月は彼氏の姉が
盲腸で入院して、
そちらのほうで姪っ子、甥っ子
と色々私より優先して
協力してあげないと
いけないことがありました。
 
彼氏自身も具合が悪くて
年末は確か大晦日以外は
彼氏の姉家族と彼氏の体調が
優先されてほとんど
会ってもらえなかったのです。
 
なのに当時のぴょん吉の対応は
毒親育ち真っ只中なので
彼氏に対して『何でお姉ちゃん(彼氏の)
ばっかり優先するの!』
『何ですぐメールしてくれないの!』
と言葉を投げつけていました。
 
彼がパニックやうつで首らへんが
具合悪くて動くのがしんどいのに
『今すぐ会いに来て!』と言い、
 
会う約束してたのに
彼氏の具合が悪くてキャンセルに
なるとギャーギャーわめいて
無理矢理家に来させたりしていました。
 
彼氏の具合、状況何も汲み取らずに
自分の都合だけ押し付けていました。
 
普通ならこんな女
即刻別れられているんだろうなと思いながら
記事を書いています。
 
そんなぴょん吉を相手に彼氏も
言う事を聞いていました。
 
でも今思うと共依存関係だったのだと思います。

そしてそうやって自分の気持ちを
押し付けたあと
必ず自分を責めていました。
 
また言ってしまった。
またやってしまった。と
 
責めすぎなくらい自分を責めていました。

そんな関係が続き年が明けて2013年。
 
相変わらず苦しくしんどい日々の中、
1月2月3月が過ぎてゆきます。
 
そして3月中旬くらいにぴょん吉は仕事で
部署の異動を言い渡されます。
4月から異動ということでした。
 
しかも1番行きたくなかった部署への
異動でした。
 
その前に既に2012年8月に
別の部署に異動してたのに、
短期間で異動させられて
会社にいいようにされているなと
思いました。
 
どん底でした。
仕事を辞めようかどうしようか
考えました。
 
この時実家にいたら確実に
退職していたと思います。
 
今は辞めなくてよかったなと
結果的に思えてますが。。
 
仕事、彼氏の休職、
毒親育ちで感情が処理しきれませんでした。
 
嫌なことが重なり、
心がとてもしんどい状態となりました。
 
2013年4月から部署異動、
新しい仕事を教えられ始めます。
 
ぴょん吉が異動した先の部署は
社内で1番忙しくて
残業が普通で有休も取りずらい所でした。
 
なので、今までぬくぬくと
仕事量も少なく自分のペースで
やってきた私からすれば地獄でした。

ぴょん吉は仕事を覚えるまですごく遅くて
頼まれたことをメモしておいても
忘れる時があります。
こんなにやらかすって
もしかして病気なのかな?と思うくらい。
 
そこがものすごく不安で異動の
前日は一人で号泣していました。
 
ぴょん吉にはできない、
なんでぴょん吉だけが
こんな目に合わなければいけないの、
ぴょん吉以外の人は
みんな不幸になってしまえばいい。と
嘆き泣いていました。
 
そしてプライベートでは
彼氏と結婚したいから
彼氏を仕事に復帰させるのに必死でした。
 
『いつから仕事始めるの?
○○(彼氏の名前)だけが
大変てわけじゃないんだよ!
もっと大変な人いるんだよ!』
 
と、すごい幕したてて責めていました。
 
当時はそれで支えているつもりでいましたが、
これでは全く支えていませんよね。。
 
思いやりがない。
 
わかっててもそうしてしまう
自分のことも責めました。

そしてこの頃のぴょん吉
365日泣いていたと思います。
 
彼氏と別れることも何回も考え、
友達に相談し、
『仕事しないと別れる!結婚する気あるの??』
とか言うことも彼氏に言っていました。
 
自分のことだけ考えて
彼氏に八つ当たりをしていました。
 
異動先で仕事も教えてもらい始めてたけど
仕事中も常に泣いていました。
 
会社のトイレで泣いたこともありました。
かなりの情緒不安定だったと思います。
 
営業事務だから自分のペースで
仕事を進められないことにとても
ストレスを感じてたし、
いつもすっごいイライラしてたし、
すぐに仕事内容を
覚えられないのは仕方ないことなのに
それで自分をめちゃくちゃ責めていました。
 
サザエさん症候群で日曜日の夜が本当に
嫌で仕事に行きたくなくて泣いていました。
 
行きたくなさすぎて
休んでしまったことも
何回かあります。
 
それにぴょん吉の家から彼氏が
帰ってしまうのが嫌で
1人になりたくなかった。
 
泣いて帰らないでと
言って引き止めて
家に泊まってもらったことも
何回もありました。
 
そうするとある日
体をさっとさすっただけで
痛み、その痛みが一週間ごとに
体の部位を移動して、そのうち
数秒起きにピキっと痛みが走り、
体の部位を移動する
神経症みたいなものになってしまいました。
 
結局病院には行ってないのですが、
今思うとストレスが原因だったのかなと思います。
 
その神経症みたいな痛みは、
鎮痛剤が効かないし、
何をやっても治りませんでした。
 
病院行けよと思うかもしれませんが
何科に行けばいいのかわからなかったのと
無駄にお金を使いたくなかったので
しんどいけど放っておけば治ると
思っていたので当時病院には行きませんでした。。
 
 
次の記事に続きます。
本日も読んでいただきありがとうございました。